生きろ。

今年に入ってから、私が東京に出てきてからお世話になった方の訃報を立て続けに2件。

どちらも、私の中ではまぁまぁに大きな存在である期間が長かった人たち。

そのうちのお一人はまさに直近。

恩師…と呼ぶにはおこがましい。

専門学校時代の、演出家。

講師、と呼ぶにはあまりにも講師という認識ではない。

「先生」と呼ばれることを嫌った人。

私は、他の皆ほど怒られていなかったし、
(とにかく演出時に怒鳴る人だった。でも、それは伸びしろがある人ほど怒鳴られていたように、私には見えていた。)

他の皆ほど、仲が良いわけでもなかった。

怒られている人たちが羨ましくて、意見を聞きに行っても

「あなたは、そのままでいいんだ」

と、促されるばかり。

私自身は、”鍛えられた”という認識が他の皆に比べて低いと思う。


でも、今考えてみれば、私の自己評価の低さをちゃんと見てくれて、

「あなたは、そのままでいいんだ」

と、生きていく為に正しい道を示してくれていたのかもしれない、なんて。

後から気づかされることの多いこと。

まさか私がまだ芝居を続けているなんて、思ってもいなかったでしょうね。


多くの生徒が慕って、多くの生徒に愛されていた方だというのは、今回の訃報を受けてより明確になった。
縦のラインがつながって、横のラインに伝わって、また更に縦のラインに繋がる。
一気に学校の先輩後輩に情報が伝わっていったようだ。

まだ伝わっていない人に向けて、私はこのブログを書いている部分もある。


とても印象的だった授業の言葉がある。

「今は、”管理社会”だが、これからは”監視社会”だ。怖い時代ですよ。」

15年前、まだスマートフォンなんて殆ど無かった時代に。
なんでもかんでも写真を撮られ、動画を撮られ、SNSに晒される、この時代を見ていた人。

後輩の発表会に寄せた言葉には「これからの表現者は主体的に自立しなければならない」と書いていた。

”チャンネル”や”アカウント”なんて言葉が身近でなかった時代に。

とにかく前を、未来を見ている人だった。



「生きろ」

と、よく貴方は言った。

「らしいこと」をするんじゃない。

生きろ。



思い出そうとすると、一番見ていたはずの不機嫌な顔よりも

ちょっとやんちゃな、いたずらっ子のような笑顔しか出てきませんよ。

どうぞ、大好きなコーヒーをあちらでも嗜んでください。


ご冥福をお祈りいたします。





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